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ラサール郡()は、アメリカ合衆国イリノイ州の北部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は113,924人であり、2000年の111,509人から2.2%増加した〔Quickfacts.census.gov - LaSalle County - accessed 2011-12-06.〕。郡庁所在地はオタワ市(人口18,768人〔Quickfacts.census.gov - Ottawa, Illinois - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の都市でもある。 ラサール郡はオタワ・ストリーター小都市圏に属している。シカゴメディア市場の中にあるが、川のある町や広大な農地などが混在し独自性を保っている。シカゴばかりでなく、ピオリア、クワッドシティーズおよびロックフォードのテレビ市場が交差する所にあり、4つの市場から広告宣伝を行って地域に強い影響を与えているので、シカゴからは約60マイル (100 km) と比較的短距離にあるにも拘わらず、必ずしもシカゴ都市圏に属しているとは見なさず、州北部あるいは北中部にあると見ている。 == 歴史 == ラサール郡は1831年1月15日にテーズウェル郡とパットナム郡の一部を合わせて設立された。郡名は初期フランス人探検家ロベール=カブリエ・ド・ラ・サールに因んで名付けられた。ラ・サールは地域に入って記録を残した最初のヨーロッパ人だった。メキシコ湾からミシシッピ川を遡り、その地域全体をフランス国王ルイ14世の領土とし、ルイジアナと名付けた。1860年、ラ・サールと他のフランス人交易業者2人がイリノイ川沿い、現在のラサール郡内にクレーブクール砦を建設し、1862年にはスターブドロックにセントルイス砦を建てた。1857年までにイリノイ・セントラル鉄道の列車が1日2便来るようになっていた。 W・D・ボイスがオタワでアメリカ・ボーイスカウトを立ち上げたとされており、その評議会はボイスの名前が付けられた。ボイスと他に2人の設立者がボーイスカウトを設立したが、組織内でボイスの派が競合する他の2派を吸収したので、ボイス1人が設立者の名誉を得ている。ラサール郡は、W・D・ボイス評議会のロワヌー・リージョンと呼ばれるものの中にある。 オタワ市は有名なリンカーン・ダグラス論争の最初の開催地となり、リンカーンが「分かれたる家」演説を行った。オタワの町はリンカーンに強い愛着をもっており、その中心街は19世紀半ばの建築様式を残している。郡民は大半が奴隷制度廃止論者であり、南北戦争以前に多くの地下鉄道の場所が維持されていた。 ユーティカはスターブドロック地域への入り口と考えられている。ここには3つの公園がある。中でもスターブドロックが珠玉のものであり、マティーセンはスターブドロックと同じ様相を持っているが小規模である。その西にはバーミリオン川がある。バッファローロックはアメリカバイソンのいる囲いがあり、またエフィジーツムリと呼ばれる彫刻のあるマウンドもある。この村は2004年に竜巻に襲われ、中心街が破壊され、9人が死亡した。 ファイル:LaSalle County Illinois 1831.png|1836年創設時の郡領域、北側に大きな未編入領域があり、その管理も付加された〔White, Jesse. ''Origin and Evolution of Illinois Counties.'' State of Illinois, March 2010. 〕 ファイル:LaSalle County Illinois 1836.png|1836年から1837年 ファイル:LaSalle County Illinois 1837.png|1837年から1841年 ファイル:LaSalle County Illinois 1841.png|1841年から1843年 ファイル:LaSalle County Illinois 1843.png|1843年、南東隅がマーシャル郡に渡され、現領域になった 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラサール郡 (イリノイ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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